昨年8月異常に飛び出た肋骨の骨を気にしていた兄は、病院に行き、末期ガンである事を宣告された。
独身であり、同居の親族がないため、本人が直接医師から手に負えない旨伝えられたようだ。 当初相当なショックをうけていたようであった。兄からの話によると、余命1年との話であった。
ガンセンターに行くように言われ、ガンセンターでMRIや血液検査をした後の医師の説明は「肝臓癌から骨に転移したもので、ろっ骨の部分に大分大きいのがある。それに肺の部分にも小さいのがある。肝臓癌だけでも、その大きさから、もうすでに手術不可能、しかも肋骨の部分は手術して取ると骨は完全に崩れてしまう。そのうえ血液をとおし人体のあらゆる処に出てくる可能性があるので、今後どういうところに出てくるか?足が痺れる等の事があったらすぐ教えてください。脊髄に転移するのが怖いですね。足も動かなくなる可能性がある。ガンセンターとしてできる事は痛みを軽くしてあげる事くらい、がんに対する治療は副作用も考えると完治する見込みがないので、止めた方が良いでしょう。」等のはなしであった。要するに現代医学ではどうする事も出来ないのである。お手上げであった。
ガンセンターの先生は、いつお終いの時が来てもおかしくない状態です。と患者がいない席でそう話された。せいぜい2~3ヶ月の命との話であった。
すっかり兄は元気をなくしてしまった。生きていく望みが全くなくなってしまったのである。
私は考えた。本当にこのままなのか?何もできないのか?先生の言っている事は正しいのか?
ガンはウィルスと違って患者自らが創ったものなのではないか?それ故患者の身体を攻撃することになるので正常な身体組織も傷つけてしまう。その副作用が特別強烈なのである。
兄が創ったもの兄自身で治せるのではないか?兄の脳が命令を与え癌細胞を生んでいるのではないか?命令を自分自身で解除できれば、その瞬間から癌の増殖は治まるはずではないか・・・・?
そんな事を考えた。私も大分昔の話になるが、腱鞘炎で右腕が鉛のように重くなり、指も全く思うように動かなく、手として機能しなくなった事がある。地域の病院で1年程治療したが、治らず、3年程、東京の大病院の専門医に診て頂いた。いろいろな試みをしたが、結局治癒はしなかった。「ここへ何年通って頂いても治癒する事はない。治療は止めましょう。」先生の言葉だった。もう私の右腕は一生治らないのか?その時、深い失望を感じたのを覚えている。
それから一週間程してからだったろうか、以前読んだ岩波新書の「心療内科」という本を思い出し、再度読んでみた。リウマチが心の問題で起きるという事が書いてある本だった。私の右腕もまさしく脳が動かないよう命令を与えているに違いない。
それから毎日、私はリラックスした状態で、自分の脳に「右手の人差し指を少し動かしてごらん、怖くないから・・・・・。」両腕をテーブルの上に置いて、そう言い聞かせ始めたのである。
どのくらい経ってだろうか・・・、最初何も感じる事がなかった人差し指が、僅かであるが、自分の命令で動くようになったのである。最初はピクリと動く程度だった。そして日が経つにつれて少しづつ、はっきりと動くようになり、動けるようになったと思ったらまた駄目になる。等を繰り返しながら・・・・・。
現在パソコンのキーボードも両手の10本の指で打つし、4年前からピアノも習い始めて現在「渚のアデリーヌ」を学んでいる。学んで4年で弾くには結構難しい曲だと思う。右腕の機能は殆ど変わらない。テニスでも結構強いサーブを打ち込める。勿論右腕である。
脳の力は計り知れない。あの右腕を鉛のようにしてしまったのは、誰でもない。自分の脳だったのである。私は自らの体験からそう感じた。そうだったからこそ、いろいろ回り道したけれど、自分自身で治す事が出来た。人間はある一面素晴らしい能力を秘めているのではないだろうかと思うのである。
体験から、兄の事も自らが起因している事があるのでは?癌の発生は兄の生き方に問題があったのではないか?同居していた母親が病気になり看病を長い事していた。2年前にその母親も亡くなったが、当時、「何で俺がこんな目に逢わなければならないんだ!」絶えず不満を漏らしていた。「親を面倒見られるなんて、そんな立場を幸せと思えないか?どうせ兄貴が見なければならないんだから、そう思った方が良い!不幸せと思うより、幸せと思えるような見方、考え方をした方が良い。長い事、母と二人で過ごしてきたのだから、どうせ他の兄弟に任せるつもりはないんだろう?」そんな勝手な言い分を言ったように覚えている。そんな事のストレスが素因になっているのかも知れない。
そう考えた私はストレスを感じないよう、今までの自分を変えてみるよう。ゆったりした生活を勧めた。「癌は初期なら取り除けば治せるが、いろいろな所に広まっては、生体そのものを攻撃しなければならにので、現代医学では困難極まりない。現代医学では治せないかもしれないけれど、癌を作ったのは兄自身なのだから、自分自身で治せるよ。言うなれば兄の身体が会社だとすると兄は社長、兄のやり方に反する造反社員が抗議行動を起こしているようなものではないか?兄の反省を求めているよ。反省する事はないのか?きっとあるんじゃないか?このまま反省もなく対話もなければ、うっかりすれば命取り、会社は潰れる。癌も自分の仲間と考えた方が良い。対話してより良い方向にもっていけば,すでに起こっている癌はなくならないかもしれないが、新規の増殖が止まれば、大丈夫ではないか?それが癌の治癒と言えるのでは?」
そう言って、「世界中の医者が「もう末期、駄目だ!」といっても、兄自身がダメと思わなければ絶対大丈夫!、仲間の造反に過ぎないのだから・・・。解決する努力さえすれば解決できる。足を鍛えて免疫力を高める。イライラしない。・・・・・・・・・・」
いろいろ言った。「癌は自分で治せる」の本も取り寄せた。兄はその気になり、しょんぼりした兄ではなくなった。だが、痛みと吐き気に悩まされ、食が細くなり激やせした。
それでも「まだ4~5年は生きたい。」と生きる希望を抱いていた。ガンセンターへの入退院を繰り返し、タバコを吸いたいがため、少し良くなると退院を急いだ兄、最後の入院はがんセンターではなく、自らリハビリして自分の家で生活したいため、整形外科病院に入院手続きを自ら電話で取り、入院した。腰の骨が片方とろけており、とても歩行できる状態には戻れなかった。にも関わらず、ベットで足を動かし、歩行できるよう訓練していた。身体は殆ど骨皮筋衛門であったのに・・・・・・。
最後の日、午後になると何となく今までと様子が変っていた。午後4時半頃、目をパッチリ開きっぱなしで、何となく変なので「どうしたんだ!」と尋ねてみると「おじいさんがいる。・・・・・・・・・・迎えに来る。」と言ったきり黙ってしまった。その後「まっすぐ行くんだろう!」と声を張り上げた。酸素マスクをつけようとしたところ、嫌がったので、どうしてもつけないと駄目だ!と話したところ「8時半になったら取るよ」と言ってつけるのを承知した。
それからはズーと目を開けたまま、何を話しても応える事はなく、私も手をズーッと手を握って話しかけたりしながら計器の状態を見ていた。心臓と脈の様子である。時々乱れたりしながら、突然8時半になった時、すべてが止まった。
何をしても戻る事はなかった。兄が約束した8時半だったのである。おじいさんは長男である兄をとても可愛がっていた。闘鶏のチャボや七面鳥なども飼っていて、良く兄に与えていた。盆栽などもそうである。考えてみると趣味もそっくり。
迎えに来たのかな・・・・。8時半が約束の時だったのか?兄は酸素マスクの装着をとても拒んでいた。「8時半まで・・・8時半で取るよ」の約束でやっとつけるのを承知してくれた。人間の死とはなんなのだろうか?不思議でならない。
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