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2008年5月29日 (木)

さつき暁天の花とクジャクサボテン

_013_ 皐月盆栽が我が家に数鉢ある。兄が育ててきたもので、重くて鉢を動かす事が出来なくなり、植え替えが困難になったため、私に手放したものである。確かに相当な重さであり、スクワット100回やっている私でもこれは重い!と思うほどの重さである。もう40年は育てていたのではないだろうか・・・、その育ててきた兄も今はいない。

兄の好きだった暁天が咲いてきた。居間の前に置いて眺めている。気品があってとても美しい花である。

次々と花を咲かせていくさつきは、一斉に咲くつつじと異なり、賑やかさ少し抑え目で、風情を感じさせる花である。

_009_ 隣でクジャクサボテンが咲いていた。雨の日にこの花のにぎわいを見せるなんて、何て良い奴なんだ!と、思わず微笑む。

パッと開いたその花姿はまるで太陽を見るときのように眩しい。_008_

雌しべがぴょんと飛び出ている。

全く大きな花。

冬の間、障子の影で殆ど太陽に当ててなかったせいか、今年は花芽が少ない。それでもこんな大きな花を咲かせてくれた。手数の掛からない優良児である。月下美人の仲間でもある。

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2008年5月27日 (火)

マイマイガとチャドクガ

毎朝決まってまずマイマイガの捕殺から始まる。朝は何故か非常に見つけ易い。道具はよくゴミ拾いに使う金属のはさみ棒、大小である。マイマイガはちょいと触れると木から落ちる。落ちてから動かない。見つけにくい事が多い。そこでこの道具を二つ使うのである。落ちる。その事を予想して、もうひとつのはさみ棒を構えておく、大概そこに落ちてとまる。そんな事で最近は捕獲率が極めて高くなった。そのせいかなかなか見つけられなくなった。庭にマイマイガがいなくなった。今日も捕獲2匹、あれほど探したのに・・・喜ばしい事であるが・・・いないのである。それが終って今度は椿・山茶花の葉を観察チャドクガを見つけまわる。今日も全然いなかった。まだシーズンには早いのかも知れない。そのうちチャドクガは毎日のように新しいのが見つけられるようになる。厄介な虫である。

_008__2  アメリカコマクサがひっそりと咲いていた。大きな草の間から時折のぞかせている。可憐な花である。

_001_ すぐ近くにカエルがジッと何か構えていた。何かを狙っているのか?見ても何もそれらしきものはいない。

賑やかだったカエルも最近あまり鳴かない。これも時期があるのか?

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花壇にジョンソンズブルーが咲き始めていた。毎年この場所で咲いてくれている。今年もまた咲き始めたのだ。うれしい限りである。

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2008年5月26日 (月)

ニガナと山アジサイ

_018_ 黄色の小花がたくさん咲いて、風に揺れている。頼りなさそうな茎に花をつけ、背を高くして咲いている。

日に浴びるとキリキラまるで黄色い宝石のように思える。道端に時折たくさんこの種類の花が咲いている。歩道の煉瓦タイルの間から芽を出し咲いている場合もある。ニガナ 丈夫な花である。我が家のニガナは鉢植え、集合された美しさを楽しんでいる。

_031_ 庭のあちこちにある山アジサイが咲き始めてきた。小さな花で目立たないけれど、山アジサイの花色の変化して行く様が美しいので好んで植えてある。

_029_ この花も白からブルー赤へと変化していく。今は」同時にいろいろな花色を見られる。

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この花もこれからいろいろ変化していく。それぞれ一般のアジサイに比べてはるかに小さく目立たないが、味わいがあるような気がする。庭には大きな西洋アジサイもあるが私がよく観察するのはこの小さな山アジサイの方かもしれない。

昨日伸びすぎて隣家まで枝を伸ばした金モクセイをおもいきって枝抜きした。大分小ぶりになった。その隣のサザンカにチャドクガが葉の裏にものすごい数いた。それも3か所発見! まだ小さかったので助かった。

枝ごと切って処分した。そんな事でゴミ袋二つに一杯の枝葉を伐採した。その一日後やっぱり痒くなってしまった。危険なので作業後すぐシャワーを浴びて、洗髪もした。大丈夫と思ったのに・・・・、右腕が、今は猛烈に痒いのである。やはりやられたようだ。サザンカや椿の枝葉にはその毒が残っている。いつもやられる。しばらくはこの痒みに苦労する。

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2008年5月21日 (水)

エゴノキの花

_025_ エゴノキの花は、遠くで見ると小さな花だけにあまり見ごたえはしない。しかし、目の前でこの花を見ると感動せずにはいられない。

一つ一つの花が全く清楚で美しい。その花が数え切れないほどたくさん咲いているのである。

_028_ わが庭では頭上すぐ近くにたくさんの花がこちらを向いて咲いている。

下向きに咲く所がまた何ともいえず良い。

そしてパラパラ落ちていく。

_030_ 花のじゅうたんを作る。落ちても落ちてもまだたくさん咲いている。それがエゴノキ。

門の近くに植栽した株立ちのエゴノキ、これはなかなか風情がある。「成功だったか?・・・・」かもしれない。

そう思うのである。

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2008年5月20日 (火)

ツボサンゴ

_019_ 小さな花なのに、この赤い花がひときわ目立って咲いている。春の花の盛りではとてもこうはいかない。

良い時期に咲いている。しかも背が高い。そのせいもあるのかも知れないが、結構目立つのである。

_015_ クレマチスも咲き始めると次々と咲いてきている。壁際にいつの間にかクレマチスのコーナーができている。毎年きちんと咲いてくれる。咲くのを忘れた事がない。几帳面な所のある花である。

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このバラも義理がたい所のある花で、毎年どんな事があってもたくさん花を咲かせていくれる。

他のバラだったらもうとっくに降参しているような環境の所で立派な花を咲かす、カクテル。

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2008年5月17日 (土)

朝日に映えるモミジ・猩々野村

_017__2  モミジ猩々野村は朝日や夕日が当たった時、美しさが一際映える。

普段はくすんだ茶色のような赤色をしているのに、陽が射すと一変する。朝日や夕日が当たるところに一本植えておきたい種類のモミジである。

_012_今朝の庭の様子、パンジーがまだまだ勢いよく咲いている。ゴールドコインや月見草が新しく勢力をのばしている。

忘れな草はぼちぼち交代かな・・・・?

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ジューンベリーの実が日毎に大きさを増している。この花が咲いたとき、雨の日がほとんどだったので、筆で受粉させた。どうやら大丈夫だったようで、たくさんの実を成らせてくれている。

色づいていくのが楽しみ。

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リンゴアルプス乙女も筆で受粉した。ジューンベリー程成功率は良くないけれど・・・、まあまあついている。

今年も実りの秋には赤い実がたくさん見られそうである。

_015_

青りんごの王林も実をつけている。

こちらは植え替えたばかりなので、花が極端に少なかった。結実は3個、無事育って欲しいと願わずにはいられない。

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2008年5月16日 (金)

モミジの新芽は美しい

_002_ 私は2階の自室でよくパソコンを打っている。目が疲れると、時折窓から庭の様子を見る。このモミジの新芽の様子を見るのが何よりの楽しみとなっている。少し紫がかったピンクの鮮やかな色合いが目に飛び込む。

風に揺れる様は実に爽やかで、私がモミジを好む一因はそこにある。アブラムシが全く姿を見せなくなった今、5月のモミジはイイ!

_025_ 庭の入口に株立ちのエゴノキを植栽してある。 エゴノキの花を下から見上げる。と言ってもすぐ目の前にエゴノキの花がある。

今年もたくさん咲いた。可憐な花が風に揺れて我が家を訪れる人を迎える。

_028__2 モミジも良いけれど、5月の満開に咲くエゴノキの花もまた捨てがたい魅力がある。我が家にはもうひとつエゴノキの株立ちがある。居間の前である。この木が満開の時、居間のガラスに映る様子はまた格別である。ただでさえ満開のエゴノキなのに、実際の花とガラスに投影された花で2倍に広がるエゴノキの花を目にするのである・・・・・・残念ながら今年はその豪華な花が見られない。居間の前のエゴノキは昨年枝を切りすぎたせいか、いつもより花数が少ない。

_023_ マユミの小さな花が無数に咲いている。最初は白い花、そのうち次第にピンクの花色が増えてくる。

よく見ると結構かわいい花である。晴れた日に咲いているこれはたくさん実をつけそうだ!

雨の時だと虫も飛んでこないので少し心配になるが、この二日ばかり晴れている。期待!期待!

_013_ 夏の花、月見草が咲いてきた。

今年初めて咲いた。

先日など、もう夏のような気温だったのだから、当然なんだろう。

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2008年5月 8日 (木)

満開のゴールドコイン

_036_ ゴールドコインが花壇を賑わしている。なんの手入れもすることなく、この花は毎年必ず多くの花を咲かせて楽しませてくれる。いつからだろうかこの花が花壇に花を咲かせたのは?数年は経つだろう、いやそれではきかない年月かもしれない。最初は花も小さいし数もそれ程ではなかったので、あまり目立たなかった。それが今はどうだろう。存在感を示してくれている。

_010_ 庭に「琴の糸」という名のもみじが植えてある。先の部分は細いことは細いが、ある程度葉の形をしている。写真で3枚ほど見える部分である。それが少しづつ縮れてきて、糸のような細い葉になるのである。

考えられない変身である。「琴の糸」とは良く名づけたものだと思う。

_032_ あれ程毎朝毎朝、とってもとっても、たくさんいたアブラムシがこのところ殆ど見かけなくなった。この写真の本株立ちのモミジも極めてアブラムシがつきやすいモミジである。原因は芽出しの時葉が開いてないで丸まっている。そのため柔らかい新芽の間にアブラムシがものすごい数いるのである。イロハモミジと購入時に記入してあったが明らかに葉の形が異なる。紅葉も、もう2年見ているが完全に黄色、それも美しい鮮やかな黄色、イロハモミジとは明らかに異なるようだ。そのモミジも春の芽出し時は新芽がつぼんでいるが、今の時期になると新しい芽も開いているようで、そこのアブラムシの隠れる場所はない。そんな事も関係しているのか?この木にも殆どいない。葉には七ホシテントウの幼虫がせわしなく葉の間を動きまわっている。時折お腹を一杯に膨らませた雨蛙がのんびりと木の間につかまっている。庭のどの木にもアブラムシの姿が見えない。一時スズメもたくさん来てアブラムシを食べていたようで、七ホシテントウの幼虫やカエル、雀などの働きによるのかも知れない。自然はうまくできている。

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2008年5月 6日 (火)

ナツハゼのつぼみ

_025_ わが庭に植栽して3年目のナツハゼ、ようやく根付いたようで、今年は昨年と新芽の動きが異なる。観察していて気持ちが良い。伸び伸びとした成長は見る者を楽しくさせる。小さな花芽をたくさんつけている。今年は若しかして実をつけてくれるかも知れない???期待するのである。

元気が良いだけに、秋のナツハゼを見るのが今年は楽しみだ。

_039_ 花壇の様子、忘れな草の丈が大分伸びてきている。

チュウリップも結構植えてあった花壇なのに、今年は全然目立たなかった。

忘れな草と丈が同じ程度だったので、殆ど隠れてしまったようだ。

_021_デショウジョウもみじもすっかり赤色がおち、緑が多くなってきた。

それでも新たな新芽が、赤く出てきており、それなりに美しいコントラストを見せている。

_035_

もみじ茜は、今まさに美しさの絶頂かもしれない。

黄色の色彩が異彩を放っている。

小さいけれど存在価値のあるモミジだ。

このところ暇を見ては庭の手入れをしている。先日羽衣椿が大きくなりすぎたので、中に入り思いっきり枝抜きをし、小ぶりにした。ツバキにイラガの粉が残っていたのか?身体がいまだに痒い。枝の中に入って切ったせいか、結構やられている。

_033_ もみじも大分枝抜きをしている。

毎年少しづつ形を整えて自分なりの思い描く形に近づけている。

なかなか思うようにはならないけれど・・・・・。少しづつである。

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2008年5月 5日 (月)

珍しい鳥

_048_ 2階にいて、ふと窓の外を見ると柿の木のてっぺんにこの辺では見る事のないブルーの鳥が止まっていた。風が少し吹いていて、ゆらりゆらり、細く高い位置の枝なのであまりこの場所に止まる鳥はいない。

NikonD80 300mm望遠を早速準備し撮影開始した。

_046_ 何lをしているのだろうか?

こっちを向いてくれ!そう心の中で叫んでいるのだが、一向にこちらを向く気配がない。風はゆらりゆらり吹いている。飛び立ってしまうだろうか???

_044_ 何やらもぞもぞ動きだした。

良いぞ!こっちを向いてくれ!少し頭を向けた。思わずシャッターを押す。顔の下に茶色の色が見える。少し風が出てきたのか?体を微妙に動かしている。

枝も揺れてきている。こっちを向いてどんな顔をしているのか見せてくれ!!!

_041_ その時風が一段と強く吹いた。

鳥も慌てて飛び上がった。

残念よく見えない。

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2008年5月 4日 (日)

末期ガンだった兄の死

_004_ 昨年8月異常に飛び出た肋骨の骨を気にしていた兄は、病院に行き、末期ガンである事を宣告された。

独身であり、同居の親族がないため、本人が直接医師から手に負えない旨伝えられたようだ。 当初相当なショックをうけていたようであった。兄からの話によると、余命1年との話であった。

ガンセンターに行くように言われ、ガンセンターでMRIや血液検査をした後の医師の説明は「肝臓癌から骨に転移したもので、ろっ骨の部分に大分大きいのがある。それに肺の部分にも小さいのがある。肝臓癌だけでも、その大きさから、もうすでに手術不可能、しかも肋骨の部分は手術して取ると骨は完全に崩れてしまう。そのうえ血液をとおし人体のあらゆる処に出てくる可能性があるので、今後どういうところに出てくるか?足が痺れる等の事があったらすぐ教えてください。脊髄に転移するのが怖いですね。足も動かなくなる可能性がある。ガンセンターとしてできる事は痛みを軽くしてあげる事くらい、がんに対する治療は副作用も考えると完治する見込みがないので、止めた方が良いでしょう。」等のはなしであった。要するに現代医学ではどうする事も出来ないのである。お手上げであった。

ガンセンターの先生は、いつお終いの時が来てもおかしくない状態です。と患者がいない席でそう話された。せいぜい2~3ヶ月の命との話であった。

すっかり兄は元気をなくしてしまった。生きていく望みが全くなくなってしまったのである。

私は考えた。本当にこのままなのか?何もできないのか?先生の言っている事は正しいのか?

ガンはウィルスと違って患者自らが創ったものなのではないか?それ故患者の身体を攻撃することになるので正常な身体組織も傷つけてしまう。その副作用が特別強烈なのである。

兄が創ったもの兄自身で治せるのではないか?兄の脳が命令を与え癌細胞を生んでいるのではないか?命令を自分自身で解除できれば、その瞬間から癌の増殖は治まるはずではないか・・・・?

そんな事を考えた。私も大分昔の話になるが、腱鞘炎で右腕が鉛のように重くなり、指も全く思うように動かなく、手として機能しなくなった事がある。地域の病院で1年程治療したが、治らず、3年程、東京の大病院の専門医に診て頂いた。いろいろな試みをしたが、結局治癒はしなかった。「ここへ何年通って頂いても治癒する事はない。治療は止めましょう。」先生の言葉だった。もう私の右腕は一生治らないのか?その時、深い失望を感じたのを覚えている。

それから一週間程してからだったろうか、以前読んだ岩波新書の「心療内科」という本を思い出し、再度読んでみた。リウマチが心の問題で起きるという事が書いてある本だった。私の右腕もまさしく脳が動かないよう命令を与えているに違いない。

それから毎日、私はリラックスした状態で、自分の脳に「右手の人差し指を少し動かしてごらん、怖くないから・・・・・。」両腕をテーブルの上に置いて、そう言い聞かせ始めたのである。

どのくらい経ってだろうか・・・、最初何も感じる事がなかった人差し指が、僅かであるが、自分の命令で動くようになったのである。最初はピクリと動く程度だった。そして日が経つにつれて少しづつ、はっきりと動くようになり、動けるようになったと思ったらまた駄目になる。等を繰り返しながら・・・・・。

現在パソコンのキーボードも両手の10本の指で打つし、4年前からピアノも習い始めて現在「渚のアデリーヌ」を学んでいる。学んで4年で弾くには結構難しい曲だと思う。右腕の機能は殆ど変わらない。テニスでも結構強いサーブを打ち込める。勿論右腕である。

脳の力は計り知れない。あの右腕を鉛のようにしてしまったのは、誰でもない。自分の脳だったのである。私は自らの体験からそう感じた。そうだったからこそ、いろいろ回り道したけれど、自分自身で治す事が出来た。人間はある一面素晴らしい能力を秘めているのではないだろうかと思うのである。

体験から、兄の事も自らが起因している事があるのでは?癌の発生は兄の生き方に問題があったのではないか?同居していた母親が病気になり看病を長い事していた。2年前にその母親も亡くなったが、当時、「何で俺がこんな目に逢わなければならないんだ!」絶えず不満を漏らしていた。「親を面倒見られるなんて、そんな立場を幸せと思えないか?どうせ兄貴が見なければならないんだから、そう思った方が良い!不幸せと思うより、幸せと思えるような見方、考え方をした方が良い。長い事、母と二人で過ごしてきたのだから、どうせ他の兄弟に任せるつもりはないんだろう?」そんな勝手な言い分を言ったように覚えている。そんな事のストレスが素因になっているのかも知れない。

そう考えた私はストレスを感じないよう、今までの自分を変えてみるよう。ゆったりした生活を勧めた。「癌は初期なら取り除けば治せるが、いろいろな所に広まっては、生体そのものを攻撃しなければならにので、現代医学では困難極まりない。現代医学では治せないかもしれないけれど、癌を作ったのは兄自身なのだから、自分自身で治せるよ。言うなれば兄の身体が会社だとすると兄は社長、兄のやり方に反する造反社員が抗議行動を起こしているようなものではないか?兄の反省を求めているよ。反省する事はないのか?きっとあるんじゃないか?このまま反省もなく対話もなければ、うっかりすれば命取り、会社は潰れる。癌も自分の仲間と考えた方が良い。対話してより良い方向にもっていけば,すでに起こっている癌はなくならないかもしれないが、新規の増殖が止まれば、大丈夫ではないか?それが癌の治癒と言えるのでは?」

そう言って、「世界中の医者が「もう末期、駄目だ!」といっても、兄自身がダメと思わなければ絶対大丈夫!、仲間の造反に過ぎないのだから・・・。解決する努力さえすれば解決できる。足を鍛えて免疫力を高める。イライラしない。・・・・・・・・・・」

いろいろ言った。「癌は自分で治せる」の本も取り寄せた。兄はその気になり、しょんぼりした兄ではなくなった。だが、痛みと吐き気に悩まされ、食が細くなり激やせした。

それでも「まだ4~5年は生きたい。」と生きる希望を抱いていた。ガンセンターへの入退院を繰り返し、タバコを吸いたいがため、少し良くなると退院を急いだ兄、最後の入院はがんセンターではなく、自らリハビリして自分の家で生活したいため、整形外科病院に入院手続きを自ら電話で取り、入院した。腰の骨が片方とろけており、とても歩行できる状態には戻れなかった。にも関わらず、ベットで足を動かし、歩行できるよう訓練していた。身体は殆ど骨皮筋衛門であったのに・・・・・・。

最後の日、午後になると何となく今までと様子が変っていた。午後4時半頃、目をパッチリ開きっぱなしで、何となく変なので「どうしたんだ!」と尋ねてみると「おじいさんがいる。・・・・・・・・・・迎えに来る。」と言ったきり黙ってしまった。その後「まっすぐ行くんだろう!」と声を張り上げた。酸素マスクをつけようとしたところ、嫌がったので、どうしてもつけないと駄目だ!と話したところ「8時半になったら取るよ」と言ってつけるのを承知した。

それからはズーと目を開けたまま、何を話しても応える事はなく、私も手をズーッと手を握って話しかけたりしながら計器の状態を見ていた。心臓と脈の様子である。時々乱れたりしながら、突然8時半になった時、すべてが止まった。

何をしても戻る事はなかった。兄が約束した8時半だったのである。おじいさんは長男である兄をとても可愛がっていた。闘鶏のチャボや七面鳥なども飼っていて、良く兄に与えていた。盆栽などもそうである。考えてみると趣味もそっくり。

迎えに来たのかな・・・・。8時半が約束の時だったのか?兄は酸素マスクの装着をとても拒んでいた。「8時半まで・・・8時半で取るよ」の約束でやっとつけるのを承知してくれた。人間の死とはなんなのだろうか?不思議でならない。

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